「エリースで整えたJへの備え」木内達也、J3鳥取に完全移籍
|後藤勝(文)葛城敦史(写真)
Jリーグのレギュラーシーズンが終わり、各カテゴリーのプレーオフ開催期間中ではあるが一段落──といった12月9日、関東サッカーリーグに関するビッグニュースが飛び込んできた。エリース豊島FCでキャプテンマークを巻いた木内達也の、ガイナーレ鳥取への完全移籍である。中村草太(サンフレッチェ広島)や常盤亨太(FC東京)などJクラブに7人を輩出した代の明治大学でレギュラーだった選手とはいえ、関東1部からJ3へと二段階のステップアップは異例。社会人からJ3への移籍をきっかけとしてさらなる飛躍を遂げる可能性も秘める木内に、率直な胸のうちについて訊ねた。
ユース時代は遠く感じていたプロ
「正直、鹿島ユースの時はプロをかなり遠くに感じていました。でも明治でトレーニングを積んで、特に3年生で試合に絡めるようになってからは、その目標が少しずつ現実的になってきて、プロをめざしてやっていました」
中高の6年間は鹿島アントラーズのアカデミーに所属。ただJクラブ入りを身近なことと感じられるようになったのは、明治大学に進学してからだった。Jリーガー予備軍が多数在籍する明治で自分が試合に出る意味はあるのか。明確なストロングを持たない己が、チームを勝たせるために何をしたらいいのか、何が必要なのか。そうして考え抜くうちにプレーの強度は上がり、先発11人の仲間入りを果たすようになっていった。現在では豊富な運動量を活かしたボール奪取とセカンドボールの回収がトレードマークとなっている。
鹿島アカデミー時代はセンターバックとボランチを務め、その時から守備に長けた選手ではあった。勝つことに対するこだわりの強さもこの鹿島時代から。その秘めた力が、明治大学の栗田大輔前監督(2024年度限りで退任)のもとで開花したのだろう。
しかし大学を卒業するタイミングでは、木内を含めてJリーグへと進めない新卒選手たちが無数に生じていた現実がある。その中で木内も就職を念頭に一般企業の内定を得ながら進路を選んでいったのだが、そこでサッカーを続けていくなら我々のところへ来てはどうかと声をかけたクラブが関東1部のエリースだった。
「地域リーグから直接Jに行けるとは思っていなかったのですが、サッカーを続ける時点で上をめざしてやることは決めていました」と、木内。エリースでその能力を維持あるいは向上させ、鳥取への移籍につなげた。当初、木内自身は社会人の関東1部のレベルについて把握できていなかったが、過去の練習試合での対戦や、先輩の選手からの情報により、関東リーグそしてエリースがどういう場所かを把握し、納得した上で社会人サッカーデビューを果たした。
「JリーグやJFLに比べたら劣る部分はあると思いますが、これまでも天皇杯予選とか天皇杯で下のカテゴリーのチームが勝つことがあったように、極端に大きな差があるかと言われたらそこまでは感じませんでした。仮に所属するカテゴリーが下がったとしても、自分自身の基準であったりやるべきことは変わらないと思っていました。ですから、カテゴリーどうこうはあまり気にせず、自分の基準をしっかり持って関東リーグに飛び込みました」
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「サッカーと仕事の両立」