-
新たな挑戦の舞台はアメリカ
── アメリカに渡って半年ほど。いまの生活は慣れたか。
「やはり物価は高いなと思うところはあるが、生活の仕方は日本と大きく変わらないし、いまのところは快適に過ごせている」
── アメリカへの赴任は自らの希望だったのか。
「『アメリカ現地法人の経営企画をやりたい』という思いは以前からあったが、叶うかも分からないものだし、行けるとしても2、3年後という感覚でいた。でも想定よりも早く会社にチャンスをもらうことができた。入社した当初は海外で働くことは考えられていなかったし、英語もまったく話せなかった。数年前にデジタル戦略部という部署に異動して、そこで英語をつかう仕事が始まり、特に2022年のクリアソンにいた1年間はクラブ活動の傍らで英語やデジタル技術に関することなど様々な勉強をして徐々に海外という意識が強くなった。そこから少しずつ力をつけて、いまではそれなりに英語でローカルメンバーと仕事ができるようになった」
── 海外で働くことに魅力を感じた理由は。
「大学時代にプロサッカー選手になることを諦めてビジネスの世界に入ったというのは、決してネガティブな要素だけでなく、より広い世界に身を投じることができる、人生を長い目で見たときに自分の生きているこの世界についてもっと色々なことを知ることができる。それが就職することへのモチベーションでもあった。さらに海外というのは地理的な広がりもあり、その土地や文化にも触れられる。人生一度きりと思えば色々なものに接してみたいという思いがあったし、子どもや家族にとっても日本だけでなく、他国の文化や異質なものに触れてもらうことは人生を豊かにすると思った。それが魅力に感じた部分」
── アメリカでの仕事のやりがいは。
「突き詰めれば、我々は保険という商品やサービスの提供を通じて“安心・安全”をお届けするというコンセプトを掲げていて、それに携わる仕事としてのやりがいはどこにいても変わらない。日本にいたときは本店の経営管理に近い部署にいたが、いまは現地の事業会社で経営企画を担っている。それほど大きな規模の会社ではないが、だからこそ経営と従業員との距離感も近いし、仲間と一緒に会社の成長を目指して取り組むこと、一緒に何かを成し遂げることへの手触り感ややりがいは、日本にいるときよりも強く感じている」
── 次のステージはどう考えているのか。
「もともと戦略や施策を考えるのが好き。これはサッカーから来ていると思うが、サッカーの面白いところはジャイアントキリングが起きること。じゃんけんのようにグーはチョキに勝てるし、パーはグーに勝てる。でも、チョキはパーに勝つみたいに、必ずしも力関係だけで勝負が決まらない。時の運だったり、戦い方によって弱者が強者に勝てることもあるわけで、そういった自社や競合の分析や大局観をもとに戦略や施策を考えるところにいまは仕事の面白さを感じている。
もともと日本の本店にいたときからそういう仕事をしていて、いまはそれを現地の事業会社でやっている。サッカーでいうと、本店からある種『監督』のような目線で色々な事業会社を見ていて、いまは『選手』の立場を理解できる場所にいるのかなと思う。両方の立場を知ることで、施策の実効性や戦略の実現可能性を高める仕事ができるようになりたい。いまは事業会社にいるが、いずれはもう一度本店の戦略部門に戻るとか、海外にいたまま複数の事業会社を巻き込んで何か新たな施策を推進するとか、そういうキャリアが歩めたらと考えている」
-
社会人サッカーはメリットしかなかった
── 以前、サッカーと仕事の両立から仕事だけの生活をスタートする際に「自分は仕事や勉強に打ち込んできた人たちに後れをとっている」と話していた。実際に仕事1本の生活となって3年ほど経つが、両立してきた日々をいまはどう感じているか。
「以前サッカーをやっていたことによる仕事のビハインドの話をさせてもらったと思うが、実際にはデメリットはなくメリットと感じることしかなかった。一番は自分を律するというところ。24時間の限られた時間で仕事もサッカーも最大限のパフォーマンスを発揮するとなると食事、健康、トレーニング時間の確保などあらゆる場面でセルフコントロールが重要になる。そこはサッカーがあったからこそ、二足のわらじを履いていたからこそ身についたことだと思う。仕事だけの生活をしていたり、週末の公式戦という自分へのプレッシャーがなければ身についていなかった。
また、自分は仕事をやっている自分、サッカーをやっている自分を切り分けていて、会社での堀田稜、サッカーでの堀田稜、2つの自分を持つことでバランスが取れた。片方がうまくいかなくても、もう片方で良い循環を生み出せれば、もう一人の自分を引っ張ってもらえる。仕事だけの生活をしていたら、こうした循環は見いだせなかったと思う。
もうひとつ大きかったのは自分の想像を超えた自分に出会えたこと。背伸びをして挑戦したJFLのクリアソンでの1年は、日々フルタイムの業務をこなしながら、リーグ戦全試合に出場することができた。就職した当初や東京1部の東京海上FCでプレーしていた頃からするとまったく想像できなかった自分。社会人になってもサッカーをしていたからこその想像を超えた自分に出会えた」
── クリアソンに入団した当初はJFLで活躍する自分の姿を想像できていなかったのか。
「その前のシーズンはコロナの影響でサッカー部がリーグ途中に活動停止になり、コンディションもよくなかった。それにいきなりのJFL。正直ベンチに入れればいいかなという感覚でいた。でも実際には全試合(30試合)に出場することができたし、そこは小さな努力の積み重ねであったり、周りの方の強力なサポートもあって自分の可能性を広げる経験ができた。いまの自分の実力を悲観せずに、将来の自分に期待しながら何かに取り組むというマインドセットはあの1年で得られたと思う」
── その後、サッカーというものを手放し、仕事1本の生活に入った。何をモチベーションに自分をコントロールして仕事だけに没頭してきたのか。
「ひとつは家族という存在。これまで仕事においても妻には相当負担をかけてきたし、子どもが小さい中でもクリアソンというチームに1年間在籍させてもらった。それでサッカーをやめてなお、仕事のパフォーマンスが落ちたり、家族との時間がおろそかになるようなことがあってはいけない。いままで負担をかけていた分、恩返しをしようという想いがあった。
もうひとつは僕の人生すべてにおいて言えることだが、何かを諦めるという経験。
これまでの一番大きなところでいうと、大学卒業のときにプロになる道を諦めて、会社に入ると決めたとき。その機会損失が逆に自分の中ではいいプレッシャーになった。海外で活躍するという志を持ってプロ選手を目指していたが僕はそれを諦めた。だからこそビジネスの世界では海外でも通用する力をつけて、プロになっていた仮想の自分、プロになった友達、彼らにも胸を張れるビジネスマンになろうというのが最初のモチベーションだった。クリアソンを1年でやめた決断も、東京海上FCをやめてサッカーから離れた決断も、すべて正しい答えに持っていこう。そういうモチベーションでいまはやっている。
そして、もちろん仕事の楽しさもある。大変なことは多いが、自分のやりたいことができる環境を会社には与えてもらっているし、そのやりがいというのも間違いなく大きなモチベーションになっている」
── いまの東京1部も当時と同様に現役の大学生、若い社会人選手も多くいる。一方で働き方、サッカーに対する取り組みや考え方は時代と共に変わってきた。そういった中でも改めて社会人サッカーをやる意義があれば教えてほしい。
「以前も話したことがあるが、特に東京都リーグは純粋にサッカーへの愛にあふれているというか、このカテゴリーの活性化や盛り上がりがそのまま日本のサッカー文化発展につながると強く感じている。僕自身は大学まで人生をかけてプロサッカー選手になることだけを目指していたが、社会人になったときにサッカーに対する定義や位置づけが変わった。その定義や位置づけというのも人それぞれ違って、でもその多様性こそがこの社会人サッカーを魅力的なものにしている。
仕事を頑張って、でも週末の試合は絶対に勝とうという尊さだったり、かたや直近だとプロを志して絶対に俺たちは上に上がっていくんだという気概でやっている人もいる。大学チームでいうと、ここで結果を出してトップチームに上がるんだという学生も多くいると思う。モチベーションは違えどサッカーに対する熱い思い同士がぶつかり合っているのが、社会人サッカーの魅力かなと思う。
実はアメリカにきてからAC ROSSOという日本人チームでもう一度サッカーをしている。普通の草サッカーチームで30歳以上のリーグに参加させてもらっているが、そこでもすごく素敵な出会いがあり、やはりサッカーに国境はなく、人と人とのつながりや結束を高めることができる非常に尊いスポーツだなと感じている。そういう意味では、プロを諦めるときに『社会人サッカーはやらない』と当初思っていた自分を全力で止めたいし、本当にやってよかったということを改めて伝えたい」
堀田 稜
堀田稜 1994年生まれ。埼玉県出身。浦和レッズユース - 早稲田大学ア式蹴球部。大学卒業後に東京海上日動火災保険に入社し、東京1部の同サッカー部に入部。2016年から6シーズンプレーしたのち、2022年はJFLのクリアソン新宿に移籍し1年間プレー(※全30試合に出場し2得点を記録)。2023年に再び東京1部の東京海上FCに戻り、同シーズン限りで引退。東京1部では計7シーズンプレーし、得点王1回、アシスト王4回、ベストイレブンには4度選出された。また、東京都国体選抜(成年)には2017年、2018年、2023年に3度選出され、2018年の福井国体では全国準優勝に貢献。左利きのアタッカーで正確なクロス、シュート、ドリブル突破を武器としていた。