東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

写真:現在、FC東京U-18のトレーナーを務める垣見修平氏。

 

COLUMN

垣見修平が都リーグと医療そして育成の現場で得たもの - #02

|後藤勝

#02

 垣見は2011年からあとの7年間はHBOでプレーしながら、医療の道に励んだ。病院に勤め始めた頃を振り返って「(医療の仕事を)正直なところ舐めていました」と言うが、このスポーツリハビリ専門の仕事のみをしていたら味わうことのなかった、死生観を問われるような状況に立ち会う経験がサッカーをする学生と正面から向き合う現在の仕事に活きているという。

「あの経験がなかったら、多分いきなりJリーグのクラブに入っても何にも出来なかったと思うんですよ。いろいろな患者さんがいる病院で働いて、もちろん治せないこともある。ぼくはいま、スポーツをしている高校生を診ていますけど、けがでプレー出来ない期間はあっても、病気で亡くなることはほとんどないじゃないですか。その、通常ではあまり経験出来ないことを経験して、いろいろな想いを抱えたのちに、いま高校生と向き合えていると考えると、あの仕事をしていてすごくよかったと思います」

 病院勤務最後の2年間のうち、2016年に国体選抜(東京・成年男子)のアシスタントトレーナーを務め、翌2017年には国体選抜のトレーナーを正式に務めた。このときの国体選抜には、かつてHBOとの合同練習でもお世話になった早稲田ユナイテッドの今矢直城コーチ(現、JFL栃木シティ監督)がいた。試合会場の群馬県との行き帰りの道中、当時、オーストラリア代表チームのスタッフとして対戦相手の日本代表のスカウティングをしていた今矢コーチから吸収するものは多かったという。

 この2017年シーズンをもって社会人選手としての引退を決めた。2016年に後十字靭帯を痛めたが、年明けに第一子が誕生。その子にプレーしている姿を見せたいと、1年間活動を継続。同時に転職を果たした。

「ラストプレーが、そのシーズン初めてというくらいすごいオーバーラップをしたんですよ。結局シュートを撃ち切れなくて、撃ち直そうとボールをコントロールしたところで相手のゴールキーパーに弾かれちゃったんですけど、あのラストプレーは忘れられないですね。でも、本当に気分よく終われたと思います。そのラストプレーにちょっと後悔は残りましたけど、1年間の取り組みを通じては、最後のところは、決意をもって出来ましたから」

 当時、石神井高校サッカー部でトレーナーを務めていた垣見は、コーチ不足を補うべく自らもC級ライセンスを取得しようと、深川のFC東京コースに通った。その時のインストラクターが奥原崇FC東京U-18監督(当時。2024シーズンからFC東京トップチームコーチ)だった。「『Jクラブで働きたい』と東京23FC時代の恩師である林コーチに相談したところ、以前FC東京のアカデミーを(林コーチが)アテンドした縁でFC東京を紹介していただきました」

 こうして垣見はFC東京U-15深川のトレーナーに転職することとなった。以後、2018年から深川で3年、2021年からの3年間はFC東京U-18で、それぞれトレーナーとしての仕事に当たっている。

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