東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

COLUMN

シリーズ展望「東京社会人サッカーの未来」Vol.03

社会人の「矜持」。Intel Biloba Tokyoの挑戦 - 03

|後藤勝(ライター)|コラム一覧

Intel Biloba Tokyo

東大ユナイテッドからIntel Biloba Tokyoへ

 東大ユナイテッドに加入した初年度の2017年、多淵大樹は実質的に運営と現場の仕切りを任されていた。前の代表が家庭の事情でなかなか都心に出てこられなくなったからだ。都内の出版社に務める多淵だが、手がけているのは専門書。年間を通して計画的に仕事を進め、出版にこぎ着けている。就業時間は安定していて、オンとオフを分け自分の時間を管理出来る。運営を任されるに適した人材だった。

 2部のカップ戦で優勝したこの年、全試合にスタメンで出場した多淵に現役としてある程度やり切った気持ちが生まれ、前の代表に「翌年は監督をやらせてもらえないか」と打診した。答えはYESだった。クラブチーム選手権関東大会準優勝を果たした翌年の末には、とうとう前の代表から権限の委譲を要請された。話し合いの結果、解散するのではなく、2部にいる財産を活かしながらのリニューアルがよいだろうということになった。

「あとは好きにしていい、全然別のチームとしてやってもらっていいから──と言われました。ただし東大関係者もいなくなるから、東大という大学名を外したチーム名に変えてくれ、と。そして、いまいるメンバーで楽しく思うように、チームづくり、サッカーをしてくれればいい。ただしクラブフィロソフィーは継承してほしい、と。そこのリスペクトをこめて、いちょうを意味するBilobaを名前に使いました」

 フィロソフィーについては説明が必要かもしれない。東大ユナイテッドは監督を置く置かないに関わらず、選手同士の話し合いを重視してきた。このカルチャーに多淵代表も共感していた。それまで、監督とコーチがいるチームでサッカーに取り組み、監督らが求めるプレーモデルに合う選手になろうとするキャリアを歩んできた者たちばかり。もう十分、トップダウンのサッカーをやってきているわけだから、社会人になってまでそれをやらなくてもよいのではないか──という思想だった。現在のIntel Biloba Tokyoでは多淵代表が監督を務めているが、「監督と選手がフラットな目線で会話しているという点が特徴」と言い、選手の自主性や考えを尊重する姿勢に変わりはない。

 組織を変えていくにあたり、ひとつだけ問題があった。東大関係者が不在となるため、東大関連施設は使えなくなる。結果として都外を含めて遠方のグラウンドを抑えることとなり、年会費が少し割高になる。練習場までのアクセスがよく会費がリーズナブルという点と、選手の自主性を重んじるところが訴求点であったので、移動に伴う少々の不便は許容されたとしても、会費増は選手を定着させるという意味ではマイナスになりかねない材料ではあった。

 選手が自分たちでつくり上げていくフィロソフィーは多淵代表が監督として立ちながらも継承されることがわかっていて、気風は保たれる。そうなると焦点は資金繰りだ。他クラブに比べて年会費を抑えるために外部のサポートが必要になる。そこで、多淵代表は一介のアマチュアクラブながらスポンサーをつけることを思いついた。さいわいなことに親しい人たちのなかからスポンサーが見つかり、都リーグ2部レベルの活動に必要な予算の確保に目処が立った。

「スポンサーありきではないが、応援してくれる人がいるなら頼るべき」

 多淵代表はこう言った。年会費を補助するかたちでのスポンサードを求めるという運営方針のもと、2019シーズン、改名なったIntel Biloba Tokyoは新たな路を歩み始めた。そしてその瞬間から、やがて1部に昇格するクラブとなるための変革が始まった。

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