東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

INTERVIEW

李成俊[国体・東京選抜監督]

「楽しさと勝利追求 矛盾へのチャレンジ」

8月20日に国民体育大会・関東予選1回戦に臨む東京選抜(成年)。チームを率いるのは李成俊(リ・ソンジュン)氏。現在は大学生の指導をメインに東京の国体チームを指揮。これまでの歩みや自身が考えるサッカー指導者、サッカー観について、また今後の展望を聞いた。(※インタビューは2022年8月に実施)

PROFILE

李成俊 1974年、東京都出身。東京朝鮮高校 - 立正大学。現役時代はプロ選手を目指すも叶わぬまま20代後半から本格的に指導者へ転身。J2・水戸のジュニアユースチームで長く指導したあと2016年からはブータン王国にて世代別代表の監督を2年間務め、2018年には国体・東京選抜(成年)のコーチとして予選突破、本大会準優勝に貢献。2019年からは明治学院大学サッカー部の指導にあたりつつJFA公認S級コーチライセンスを受講。2022年から国体・東京選抜(成年)の監督に就任した。

CONTENTS 01
日本生まれ、日本育ち
指導者を志したのは20代後半から

── 生い立ちは。

「僕自身は東京の大田区生まれ。両親も日本で生まれていて、祖父母が韓国から来たので在日3世になる。ずっと日本で育ち、両親との会話も日本語でしている。韓国語については在日コリアンの学校に通っていたこともあり、それなりには話せるがあまり上手ではないと思う。ただ、ユン・ジョンファンさん(現J2・千葉監督)が鳥栖でプレーしている時に通訳をやらせてもらったり、鳥栖以外にも千葉や東京ヴェルディ、水戸ホーリーホックでもやらせてもらうなど、韓国語を話せることによって自分のキャリアがプラスに働いたこともある」

── 選手としてのキャリアは。

「プロを目指してはいたが、僕自身はJリーガーでもないし、元プロという肩書もない。キャリアとしては、東京朝鮮高校を卒業してドイツのブレーメンでアマチュア選手として少しプレーして、1年遅れで立正大学体育会サッカー部に入学させてもらった。大学在学中、Jリーグのいくつかのクラブに練習参加をさせてもらったが契約には至らず、最後は就職を選択した。就職してからもサッカーは続けて、その後に練習参加の話を頂いたこともあったが、仕事の関係ですぐに身動きが取れなかったし、一番は自分の実力だと思うが、プロの世界には当時縁がなかったのかなと思う。そういった感じで20代前半は少しもんもんとしながら仕事とサッカーをして、20代後半くらいに指導者として再スタートを切った」

── 指導者として本格的にスタートを切ったのは。

「J2・水戸ホーリーホックの育成チームの話があって、そこから本格的にスタートした。水戸に行く前に東京でC級ライセンスの指導者資格を取得したが、その時に2017、18年の東京国体チーム(成年)の監督をしていた田中浩さんが同期にいて、そのつながりで僕も東京の国体コーチ、いま監督をやらせてもらっている。水戸には10年近くいて、その時にB級、A級ライセンスまで取らせてもらった」

CONTENTS 02
どんなに有名な指導者でもあきられる
自分にもチャンスはあると思った

── 20代後半から指導者を志して、今は明治学院大学や国体の東京チームを指導している。それにJリーグで監督もできるS級ライセンスの講習も受講した。当時はここまでの指導者人生を歩めると思っていたか。

「正直ここらへんまでは来れるかなと思っていた反面、実際にはまだなれていない現実がある。やはりJリーグの水戸の下部組織で頑張り続けていれば、ライセンスの勉強、知識、権利とかは得やすくなるし、もちろん競争も激しいけど、その道に乗っかればそれなりの場所にはたどり着けるだろうと思っていた。でも、自分が指導者として何か実績を残したり、何かを成し遂げたかというとまだ何もないのが現実だと思う」

── ご自身は現役時代にプロ選手としてのキャリアはなかった。指導者をやっていく上でハンデに感じる時はあるか。

「やはり元プロ選手に越したことはない。プロサッカーチームの監督をやる以上、その経験値はあったほうがいいし、説得力もある。プロの監督、コーチのもとで様々な成功、失敗を経験しているし、シーズンを通してプロの指導法が身体に染み付いている。そういった意味でも、ないよりかはあったほうが絶対にいい。ただ、彼らも『サッカー人』という強みはあるけど、ネガティブな要素もきっとあると思う。サッカー以外のこと、物事をとらえる幅の広さであったり、言葉のチョイス、新しい気付き。彼らは彼らのマインドの中のつながりは強いけど、外からのアンテナは意外に弱いと思う。

 それともう一つ、彼らも常に自分自身をアップデートしていかないと、元プロ選手といっても次々と出てくるし、その中にも元Jリーガー、元代表選手、W杯経験者とたくさんいてきりがない。ただ、それも今の若い選手からすると『いつの時代の選手?』となってしまうし、どれだけすごいキャリアがあったとしても指導者として新しい強みをどんどん出していかないと、すぐにあきられてしまう。指導者が何をしたか、何を言ったかよりも結局、選手自身がどう成長したか、変わったかが大事。そういった意味では自分たちにもチャンスはあると思った。でも、プロ選手としてのキャリアはないよりかは絶対にあったほうがいい」

── 今は元プロ選手であってもS級ライセンスの取得、講習自体を受けることが難しい。そういった中でご自身がS級の受講者トライアルを通過できたのはどういった理由からだと思うか。

「ひとつはJクラブ(水戸)の育成指導を長くやれたこと。あとは水戸のトップチームとの関わりを持てたこと。実際にトップのスタッフとして登録されていたわけではないが、当時は通訳含めて出来ることは何でもやらなくてはいけなかったので、アウェイに帯同したり、練習に入ったり、キャンプに一緒に行ったりと、近くでトップに接することができた。何より実際にトップの練習の強度を体感できたことが大きかった。それをさせてくれた当時の柱谷哲二監督、秋葉忠宏コーチ、水戸のスタッフには非常に感謝している。

 やはりS級を受ける際にはどれだけトップチームでやりたいか、やれる資質があるかが問われるはず。いくらやりたいと言っても、今までトップと関わっていなければそこに説得力はないだろうし、逆にずっと関わっていても今後トップでやるつもりのない人は難しいと思う。もちろんトップに携わっていなかったとしても、日本サッカーはもちろん、アジアのレベルアップに貢献できる人材、日本が2050年までにW杯で優勝するという目標に貢献できる人材であれば可能性はあるんだろうと思う。自分は2015年当時、まだまだ経験が足りないと思って翌年からブータン王国にJFAから派遣で行かせてもらったが、その経験は活きたと思う。でも、自分の場合は本当に運が良かったし、当時のインストラクターの鈴木淳さんには感謝しかない」

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