東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

COLUMN

シリーズ展望「東京社会人サッカーの未来」Vol.02

阿部正紀の引退と復活。再生の背景にエリースイレブンの真摯な想い(中)

|後藤勝(ライター)

エリース東京FC

エリースとの出会い

 半年が経って「趣味程度にはサッカーをやっていたいな」と思ったのが、エリースに加わる最初のきっかけだった。この年の阿部のように、一度レールから外れたプロ志向の選手が適切な次の所属先をシーズン中に見つけることは容易ではないようにも思える。闇雲にチームを探しても徒労に終わるのかもしれない。しかし、知己のサッカー人である下村東美氏がエリースの臨時コーチを務めていた関係で、紹介してもらう幸運に恵まれた。

 練習に参加するにあたり、下村氏は阿部にこう釘を刺した。「ほんと、エリースはいいチームだよ。真面目だし。だからこそ、もし阿部ちゃんが中途半端な覚悟で入ろうとしているならやめてほしいかな。やるなら真剣にやってほしい」

 いざ練習に参加してみると、下村氏の言う真剣さに驚かされた。アマチュアと言えどもエンジョイ志向でもなければ草サッカーでもない。戦術を含めて試合の準備に、練習に臨む姿勢に、プロとの差はなかった。それどころか競技に向き合う真摯(しんし)な姿勢は、阿部のサッカー観を変えるのに十分だった。「ああ、いいチームだな。社会人でもこういうチームがあるんだ」と思ったのが最初の印象だった。

「ほんとうに、プロでもここまで真面目にやっている人もいないかなと思うくらい取り組む姿勢がすばらしかった。仕事をしながらサッカーをやっていてこの姿勢か、というのは、自分にとっても衝撃的でした。サッカーだけで生きていた、サッカーでお金をもらっていた自分にとっては、その光景に刺激を受けました」

 こんなに真面目なチームがあるのかというくらい、エリースの選手たちは真面目だった。「勝ちに貪欲な選手もいるし、やるべきことをやっていないと気がつけば意見を言う選手もいる。でも、それが当たり前じゃないとオレは思っているんです。プロでもなかなか言えない」


J3へ降格したシーズンの反省

「オレは(19年の岐阜で)キャプテンをやっていたんですけど、やっぱり言えなかった。言いたいことを言えず、チームをまとめられなかった後悔があります。社会人とプロとでちがうところはあるのかもしれませんけど、やっぱり、自分があの降格した年に出来たことは山ほどあったなとエリースで気付かされました」

 エリースの選手たちはチームで集まったとき、互いに厳しい意見を述べることを厭(いと)わない。「『せっかく仕事をやりながら練習をしているのに、おまえらなんのために来ているんだ』と。そう言っている人もいました。やっぱり全員が全員、やるべきことをやれているわけではなくピリッとしないときもある。そう気づいたときにオレより(年齡が)上の人が、みんなを集めて引き締めている。自分に足りなかったのはこういうことだな、と」

 平日は働き、週末にプレーをするための時間をつくり、活動のための年会費を払っている。そうして獲得した貴重な場をなぜ無駄にするのか。そのように諭す年長者の姿を見て、心の底に重く響いた。だから、エリースでの日々を経て感じる「楽しい」は重みがちがう。エンジョイという意味ではなく、勝つため、いいプレーをするための追求をして、それに苦しいところがあったとしてもその取り組みを「楽しい」と感じるのだ。

「岐阜を降格させた年は、このエリースにあるサッカーへの向き合い方が足りなかった。そう思い知らされました。一人ひとりバラバラになってしまっていたと思います。降格したからこういうことを言っているとかではなく。うまく言えないんですけど……」

 19年の終盤、敵地での水戸ホーリーホック戦では、阿部のパスがミスとなり失点につながり、手痛い敗戦を喫した。彼は試合後ミックスゾーンにあらわれ「自分の責任だと言い、チームメイトに謝ってきました」と、正直に話してくれた。しかしその余波はおさまらず、残留争いで不振を極める岐阜と阿部に対する風当たりは強かった。心理的な圧力に苦しんでいたことは想像に難(かた)くない。だがその状況でも、もっと自分から発信するべきだったと、阿部は過去を悔やんでいる。

「いま思えば自分ももうちょっと取材のときにしっかり喋らないといけなかったと思います。(対応の仕方が)取材の方たちからしたら印象がよくなかったのかなと、自分でも思ってしまう」

 今回のこの取材では、くだけた雰囲気で話すことが出来ていた。互いの部屋でリラックスしながらの1対1の遠隔取材ということもあったが、なにより阿部自身が快活さを取り戻していたからだろうと思えた。口下手とまではいかなくとも、決してすらすらと喋る男ではない。うまく言えずに誤解されてしまうタイプなのかもしれない。

「取材対応自体が苦手だったというのもありますね。何を喋ればいいのか……」それでも、試合会場や練習場といった、つい構えてしまう場でも、やはりもっと素直に話すべきだったという反省がある。「一昨年は自分が弱かっただけなんですけど、メンタル的にもそうとうキツくて。自分でもコントロール出来なかったというのが、ほんとう申し訳なかったなという感じですね」

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